瀬戸内の名山に登る。特別編 ~徳島県「剣山&次郎笈」~

フィジカルにアタックしても、メンタルにアタックしても、山は人間を大いに内省的にしてくれる。そして、秀麗な姿で堂々とそびえる山々を前にして痛感するのだ。山がわれわれにとって生活の一部であり、われわれの肉体と精神が山に育てられてきたということを。登るもよし。歩くもよし。見るもよし。思うもよし。そこに山が、あるゆえに―。アラフィフ編集者が瀬戸内各県の最高峰に単独アタックし、身近すぎて見過ごしがちなふるさとの山の魅力を全身全霊で体感する企画の特別編。アタックしたのは、西日本で2番目の高さを誇る徳島県の剣山。日本百名山にも選ばれるほどの本格的な高峰ながらも登山初心者や体力に自信がない人でも気軽に登ることができる山として親しまれている。宮尾登美子さんの小説『天涯の花』の舞台となったことでも知られ、同小説の主人公・珠子が「お山さん」と呼んだその山は、人も植物も動物も、この世に生きとし生けるもの全てを、大らかに受け入れてくれる。
<取材・写真・文/鎌田 剛史>
人気山岳小説の舞台、純真無垢な少女が愛した霊峰へ。

山岳小説はこれまでに数多く発表されているが、瀬戸内周辺の身近な山が登場する小説に、宮尾登美子さんの『天涯の花』がある。この小説の舞台となったのが、西日本では愛媛県の石鎚山に次ぐ高さの標高1,955mを誇る徳島県・剣山。身寄りのない主人公・珠子がたくましく成長する姿と、淡く切ない恋を描いた物語は人気を集め、舞台やドラマにもなった。珠子が「私はこの花に会うため、お山さんに来たのではないか」と、その美しい姿に感動する高山植物・キレンゲショウマを一躍有名にしたのもこの作品だ。これまで瀬戸内各県の最高峰6座の山頂を踏破した著者は、その特別編として、剣山登山を敢行。珠子が愛した「お山さん」の魅力を探った。

養護施設で育ち、四国の霊峰・剣山の山中にある剣神社の神主夫婦の養女となった珠子。心優しき人々との出会いと別れ、そして淡く切ない初恋。厳しくも美しい剣山の自然中で、苛酷な運命を乗り越えながらひたむきに生きる少女の生の輝きを情感豊かに描いた長編小説。



誰でも気軽に登れる日本百名山。
香川県高松市から車で約2時間30分。剣山の登山口がある徳島県三好市東祖谷の見ノ越駐車場にたどり着くと、中四国のほか関西や九州ナンバーの車で混雑していた。周辺の国道沿いにも駐車の列が何㎞にもわたって続いている。この日はゴールデンウイークの真っ只中、しかもこれ以上ないぐらいの快晴。混んでいるのも当然だろう。しばらくして幸運にも駐車場が空いたので無事に車を停め、「剣神社」で登山の安全を祈った後、見ノ越駅から登山リフトに乗った。剣山はこのリフトがあるおかげで、日本百名山の中でも難易度が低く、初心者も気軽に登れる山として老若男女問わず人気を集めている。
標高1,700mにある西島駅には約15分で到着。ここから山頂までは、気軽に散策を楽しめる「遊歩道コース(所要時間約80分)」、大剣神社回りの「大剣道コース(約60分)」、健脚向きの「尾根道コース(約40分)」、最も難関といわれる「行場コース(約90分)」の4つの登山道があり、自分の体力やレベルに合ったコースを選ぶことができる。この日は最短ルートの「尾根道コース」を選択し、澄み渡る空の下を意気揚々と出発した。四国山地の雄大な山並みを眺めながら稜線を歩く。傾斜のきつい場所もあるが、整備が行き届いていて歩きやすい。




軽快に歩を進めるうちに、ほこらのある広場にたどり着いた。この辺りは源平合戦で源氏の追及を逃れた安徳天皇が山頂に宝剣を納めた際に休息した場所といわれる。汗だくで宝剣を持ち続けている従者に、安徳天皇が宝剣を松の枝に掛けて汗を拭くようねぎらったことから名付けられたという「刀掛の松」が横たわっている。ここから分岐している登山道「行場コース」の途中にある「両剣神社」の周辺がキレンゲショウマの群生地で、8月上旬には黄色いかれんな花を一斉に咲かせるという。一旦呼吸を整えて再び登り始め、30分ほどで山小屋の「剣山頂上ヒュッテ」に着くと、大勢の登山客でごった返していた。ここに鎮座しているのが「剣山本宮 宝蔵石神社」で、本殿の後ろにそびえ立つ巨大な岩が「宝蔵石」という御神体。この岩には神器の剣が封じ込められているとか、埋蔵金が隠されているといった伝説もあるそうだ。




ぜいたくすぎる眺めに酔いしれながら、爽快な緑の大草原を歩く。
ヒュッテから山頂へはわずか10分の距離。「宝蔵石」の横にある数段の階段を登り切ると、視界が一気に広がり、広々とした天空の草原が目の前に現れた。この広い笹原は、再起を誓った平家の武者たちが馬場として使ったという言い伝えから「平家の馬場」と呼ばれている。幾重にも連なる山々を借景に、辺り一帯を覆い尽くすミヤマクマザサが陽光を受けてキラキラと輝いている。その光景はまさに圧巻だ。
笹原に敷かれた木道を歩き、いよいよ剣山の山頂へ。山頂標識の脇には、太いしめ縄が巻かれた一等三角点がある。登山客はみんな高揚した様子で、標識をバックに記念撮影をしたり、周辺の木製ベンチで絶景をさかなにおにぎりをほおばったりしながら、山頂でのひとときを思い思いに満喫していた。




山頂から次郎笈を望む絶景は、剣山登山のハイライト。
山頂から南西に目を向けると、標高1,930mの「次郎笈(じろうぎゅう)」が対峙している。剣山から次郎笈までは笹原を貫く爽快な縦走路が延び、その道を歩く人々の列がアリのように小さく見える。ここから見下ろす景色は、剣山登山のハイライトと言ってもいいだろう。自然が生み出したこの壮大な景観を見ていると、ありきたりながらも、自分が本当にちっぽけな存在であることをまざまざと実感する。柄にもなく、この世もまんざらではないと素直に思えた。

登山者を優しく見守る、太郎と次郎の兄弟峰。
剣山山頂で腹ごしらえした後は、次郎笈までの縦走へ出かけることにした。ゴツゴツした岩が転がる急坂を慎重に200mほど下りていく。次郎笈を正面に見ながら下りるのだが、いまいち距離感がつかめない。時折吹き抜ける爽やかな春の風を全身に受けながら、ひたすら歩を進めた。山と山の間の低地となる鞍部まで出ると、しばらくは平坦な道が続く。ここまで歩いて来た方を振り返ってみると、笹の緑に覆われた剣山が美しく輝いている。この眺めもまた素晴らしい。剣山は別名・太郎笈とも呼ばれ、次郎笈とは昔から兄弟峰とされてきた。たしかに両山とも稜線がゆるやかで、優しい佇まいが似ている。


やがて登り返しが始まった。所々に岩がむき出しになっており、なかなか険しい道だ。前方を見上げると、急坂に難儀しながらノロノロと歩を進める登山客の列が延びている。約30分の急登を乗り切り、次郎笈の山頂へ到着した。周囲には四国山地の大パノラマが広がっている。ここでも大勢の人たちが絶景の素晴らしさに歓声を上げていた。



「天涯」とは極めて遠い所を意味する。『天涯の花』の舞台となった剣山だが、人里から遠く離れた寂しい奥地というイメージは今やすっかりなくなっている。標高1,300m付近まで車が走れる道が延び、リフトを使えば標高差約300mを楽々かせぐこともできる。夏にはキレンゲショウマの群生を気軽に見に来ることだってできるのだ。ただ、時には厳しい一面を見せながらも、訪れる全ての人を優しく迎え入れてくれる剣山の大らかさは、昔からずっと変わっていないのだろう。
登山はレジャーだが観光でもある。そこにはビジネスが発生し、自然破壊の危険性が生まれる。なぜなら、人の営みは大量になればなるほど、自然を変えていく必然性を持っているからだ。山には獣が通る獣道があり、人が通るようになると山道ができ、車が通るようになると林道ができ、さらにはリフトやロープウエーができたりもする。その一方では、山間部の過疎化が進み、再び自然へと回帰していく。だからといってわれわれがすることといえば、山道を荒らさず、道端に生える草花を摘み取ったりせず、ゴミを捨てずに持ち帰るという最低限のマナーぐらいなのだ。そんなことをぼんやり考えながら、疲れた体で縦走路をとぼとぼと引き返す。真っ青な空に稜線がくっきりと際立った剣山は、相変わらず穏やかな表情で静かに佇んでいた。




剣山&次郎笈登頂の足あと。
登頂日:2022/5/3 登山ルート:剣神社→見ノ越リフト駅→西島リフト駅→尾根道コース→刀掛の松→宝蔵石神社→剣山頂上→次郎笈頂上→二度見展望所→西島リフト駅→見ノ越リフト駅 活動時間:約5時間30分(休憩など含む)
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16:02 GOAL


標高2,000m近くあり、日本百名山に選ばれるほどの高峰・剣山だが、リフトで標高1,750m付近まで一気に上がれ、登山道も整備が行き届いているので、初心者でも登りやすい山として有名。西島リフト駅から頂上まで「遊歩道コース」「大剣道コース」「尾根道コース」「行場コース」の4つの登山道があり、どのコースも比較的登りやすいが、一部崖の側を通ったり足場が悪い場所もあるので油断は禁物だ。山頂付近には休憩・宿泊ができる「頂上ヒュッテ」などもある。剣山から次郎笈までは爽快な尾根歩きを楽しめ、約2時間もあれば往復できる。
◎剣山までのアクセス
本州からは瀬戸大橋を渡って坂出ICで下り、そこからは国道438号をひたすら南下。標識に従って進んで行くと約2時間30分で登山口のある見ノ越の無料駐車場へ到着する。つるぎ町内の国道438号は道幅が狭く、見通しの悪いカーブも多いので運転には注意が必要だ。